庄司の軌跡とおやっさんと鋏
◆感謝してもしきれない
30年前に理容師からスタートしました
最初の就職先の理容室は記憶が消え去ってしまっていて3週間か3ヶ月だったかな?で離職。
相部屋で先輩2人がいる6畳の部屋で2段ベッドの横のスペースの1畳で両親から頂いた1万円で布団をかってこの道がスタートしたけれど昼夜の食事当番を任され将来が見えなくなり仲間にお願して夜逃げした。
一端は家を出た19歳だったけれど両親にお願してすぐ出て行くからと伝え国家試験の練習と理容学校の担任に相談して就職活動をしながら1カ月だけ実家に住ませてもらった。
こいつ大丈夫か?と相当両親も不安だったと思う。
当時理容師美容師もインターン制度があり学校1年でその後1年就労後に国家試験。
何とか見つかった千葉県の理容室に就職が決まり、また寮生活だったが3DKの4畳半の個室を頂けた。
1畳の経験からもう4畳半は天国ですよ。幸せのハードル相当低くなった。
この千葉県の理容室の同じ家に住んだ同期の他にも同期がこれまた酷い。
ここには書ききれないが通勤で理容室に車をドリフトさせて来るしやる気ないしヤンキーだしであちゃ~~~やっちまったかオレ。
が
中途採用の庄司を警戒しながらも受け入れてくれてめちゃくちゃ良い奴だらけだったのと先輩方も温かく見守ってくれたおかげで今でも年一回の新年会で同期会をしてる。
そんな中途で入った庄司も国家試験を見据えて鋏を買う機会があり、お店に出入りしていた鋏屋さんのおやっさんと出会う。
いいか!良いハサミを買え、分割でいいから毎月5000円ちゃんと支払う事。
その中の1本が一番上の鋏。
プロになる覚悟を植え付けてくれたんだな~
何も知らない鋏を買うどころの騒ぎじゃない小僧に鋏を熱く語ってくれました。
使っているとな刃物は擦れてこうなってくるから必ずお客様に入る前にこうやってセーヌ皮で拭くんだぞ。
ちがう!!いいかもっとこうやって手が切れるの怖がらないで刃を立てて拭かないと駄目だ!!
あ~~これがプロの世界なのか。すげ~~。まだ小僧なのにこんなに一生懸命してくれるんだ。思い出して泣きながらブログ書いてます。
おやっさん、毎月買った鋏の集金に来て鋏のチェックをして行く。
もっとここを使わないと、もっとこうしてなと随時アドバイスをくれました。
理容師、美容師の業界は技術を競い合うヘアコンテストがあります。
無謀にも1年目からヘアカットコンテストに出て同期ともちろん惨敗の最下位。
同期と鍛錬を誓い合い翌年優勝と入賞。優勝賞金でその晩は寮近くの居酒屋に他の同期やマネージャーや店長に奢り賞金を散財しすぎて覚えてない。笑
そのご褒美でロサンゼルスの美容展示会でのデモンストレーション。
確か21歳にはなってたのかな。アメリカでもお酒飲みまくってた。笑
右が若い庄司。
その後も技術を磨く為のヘアカットコンテストになんとおやっさん毎回来てくれていました。
挨拶だけでいつも嬉しそうな顔してたおやっさん。また泣きそう。
青山のお店時代も顔をだしてくれてYes!にも顔を出してくれて
脳梗塞もしてたのかなびっこしながらYes!に来てくれてた
2024年11月頃にいつもお願いする感じでそろそろまた鋏(写真上から2番目でおやっさんの傑作)をお願いしたいんですけれど連絡する。
代替わりをしているご子息に訃報を聞いた。
そしてもう今はあの材質での鋏はもう作れないんだとの事。
不義理は絶対にしたくなかった。おやっさんとの思い出がある。
だけれど一番上の鋏はあと何回か研いだら刃先が折れてしまう。
30年ぶりにおやっさん鋏と同じサイズの鋏を新調しました。
青山の師匠の所でもお世話になっていたおやっさんと同門の鋏屋さんに事情もお話して鋏を作ってもらえました。
実際おやっさんの鋏も手にしてもらってのオーダー。プロなので仕上がりはお任せ。
最高の鋏が出来上がりました。これからもお世話になります。
庄司の職人最後までおやっさんの鋏を使いたかったけれど年齢考えたらそりゃ無理だよね。
お見せしたいおやっさんとの写真がないんです。
当時写るんですとかしかなかったからしょうがないか
故石原慎太郎さんみたいな髪はロマンスグレーでどこか歌舞伎俳優な感じな色気のあるなんとも言えないおやっさん!!人に恵まれ導かれてここまで来れました。
Yes!今年20年迎えます
一生おやっさんの鋏も使いますよ
順番だからしょうがないけれど寂しいっす
刃物を扱うプロの姿勢を教わり本気で若者への信じる対応を見せてくれたおかげで自分も若いスタッフに貫けました。
おやっさんの鋏を扱う手と眼差しはちゃんと焼き付いています!
どうぞ安らかに心より感謝を込めてご冥福をお祈りいたします
ありがとうございました!!!